明治のベンチャー起業家、岩崎弥太郎
日本人なら誰もが知っている「三菱」。
今の三菱グループの基礎を築き上げた明治を代表する起業家、岩崎弥太郎のことについてまとめました。
岩崎弥太郎とは?
読み方は、いわさき やたろう。
三菱の創業者。
今から181年前の1835年に、高知県に生まれる。
貧しい地下浪人(じげろうにん)の身分だった。
26歳の時に郷廻という役職に就き、長崎出張を命じられる。
情報を得るために接待が必要だったが、連日宴会三昧、藩のお金を使い込んでしまい、1年で免職される。
34歳の時に、藩の役職に復職し、再度長崎出張を命じられる。
この時は、接待の才を発揮し、外国商人と人脈を培っていき、多くの商談を成立させた。
37歳の時に、実績が認められ、土佐藩のNo3にあたる小参事に昇進し異例の出世を果たす。
40歳の時に、三菱商会設立。
41歳の時に、大阪から東京に移し、三菱蒸気船会社とする。
44歳の時に、日本の蒸気船相当数7割を保有する海運業の覇者となる。
岩崎弥太郎の何がすごいの?
最下級の武士から成り上がった。
事業を興してから、4年という異例の早さで成功を収めた。
◆成功した商売の方法
・おかめのお面を社員教育に使い、おかめのように愛嬌たっぷりの笑顔で接しなさいと教え、店先に飾っておいた。
・社員の元武士というプライドを捨てさせるため、前垂れを着用させた。
・当時は蒸気船の運行技術に長けた日本人が不足していたので、積極的に外国人を採用した。
・東京大学や慶應義塾の学生をくどき社員にし、自ら考えて行動できる人材として、適材適所に配置して権限を移譲し裁量権を尊重した。
・明治政府からの御用を、ライバル会社が利益にならないと渋る中、お国のためと快諾した。
・特別賞与を支給した。(日本初めてのボーナス)
岩崎弥太郎の後
2代目と3代目によって、経営の多角化が推し進められ日本経済の巨大財閥、三菱グループと発展していった。
岩崎弥太郎をもっと知りたいなら!
まとめ
たった4年で事業を成功させた岩崎弥太郎。
今となっては当たり前とも思える、会社の基礎を築き上げた第一人者とも言えます。
どうしたら利益が出るか考え抜くこと。
そのことが、彼の生き方から学ぶことができます。
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