明治のベンチャー起業家、岩崎弥太郎

公開日:  最終更新日:2016/11/04

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日本人なら誰もが知っている「三菱」

今の三菱グループの基礎を築き上げた明治を代表する起業家、岩崎弥太郎のことについてまとめました。

岩崎弥太郎とは?

読み方は、いわさき やたろう。
三菱の創業者。

今から181年前の1835年に、高知県に生まれる。

貧しい地下浪人(じげろうにん)の身分だった。

26歳の時に郷廻という役職に就き、長崎出張を命じられる。

情報を得るために接待が必要だったが、連日宴会三昧、藩のお金を使い込んでしまい、1年で免職される。

34歳の時に、藩の役職に復職し、再度長崎出張を命じられる。

この時は、接待の才を発揮し、外国商人と人脈を培っていき、多くの商談を成立させた。

37歳の時に、実績が認められ、土佐藩のNo3にあたる小参事に昇進し異例の出世を果たす。

40歳の時に、三菱商会設立。

41歳の時に、大阪から東京に移し、三菱蒸気船会社とする。

44歳の時に、日本の蒸気船相当数7割を保有する海運業の覇者となる。

岩崎弥太郎の何がすごいの?

最下級の武士から成り上がった。
事業を興してから、4年という異例の早さで成功を収めた。

◆成功した商売の方法

・おかめのお面を社員教育に使い、おかめのように愛嬌たっぷりの笑顔で接しなさいと教え、店先に飾っておいた。

・社員の元武士というプライドを捨てさせるため、前垂れを着用させた。

・当時は蒸気船の運行技術に長けた日本人が不足していたので、積極的に外国人を採用した。

・東京大学や慶應義塾の学生をくどき社員にし、自ら考えて行動できる人材として、適材適所に配置して権限を移譲し裁量権を尊重した。

・明治政府からの御用を、ライバル会社が利益にならないと渋る中、お国のためと快諾した。

・特別賞与を支給した。(日本初めてのボーナス)

岩崎弥太郎の後

2代目と3代目によって、経営の多角化が推し進められ日本経済の巨大財閥、三菱グループと発展していった。

岩崎弥太郎をもっと知りたいなら!

三菱史料館

まとめ

たった4年で事業を成功させた岩崎弥太郎。

今となっては当たり前とも思える、会社の基礎を築き上げた第一人者とも言えます。

どうしたら利益が出るか考え抜くこと。

そのことが、彼の生き方から学ぶことができます。

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