金栗四三(かなくりしそう)ってどんな人?2019年大河ドラマの題材に決定
宮藤官九郎脚本の2019年大河ドラマ、そのタイトルと主演が発表されました。
その名も「いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~」。
主演は歌舞伎俳優の中村勘九郎と、阿部サダヲの2人。
その中村勘九郎が演じるのは「金栗四三(かなくりしそう)」。いったいどんな人なのでしょうか?分かりやすくまとめました。
マラソンの父
金栗四三は、明治24年熊本生まれのマラソン選手。
1891年〜1983年という明治・大正・昭和の激動の時代を駆け抜け、92年間を生きました。
1911年(20歳)ストックホルムオリンピックのマラソン予選会に出場し、当時の世界記録を塗り替えます。
その記録は、2時間32分45秒。これまでの記録より27分縮めました。その結果、日本人初のオリンピック選手となります。
しかも、履いていたのはシューズではなく「マラソン足袋」。
そして、1912年(21歳)、オリンピック選手としてスウェーデンのストックホルムオリンピックに出場。
開会式入場では、日本人2人のみで出場。そのプラカードには「NIPPON」の文字が。
それは「JAPAN」ではなく、世界に「日本」で認識して欲しいという金栗四三の意思から。そのエピソードから、日本の男らしさを感じますね。
しかし、本番のレースでは、26.7キロ途中で日射病になり倒れてしまいます。
近くの農家の人に介抱され、意識を取り戻したのは、レースが終わった翌日の朝。金栗四三は泣く泣くオリンピックを諦めました。
しかも、棄権の意思がオリンピック委員会に伝わっておらず、「競技中に失踪し行方不明」として扱われます。
世界記録保持者が途中で行方不明になったのですから、これは大変な話題になったのではないでしょうか。
ストックホルム後のオリンピック
その後、1916年(25歳)のベルリンオリンピックではメダルを期待されるも、第一次世界大戦のため開催中止となります。
一番良い時期に戦争で中止。とてもやるせないですね。
しかし、その後もオリンピックに出場し続けます。
1920年(29歳)のアントワープオリンピックでは16位。
1924年(33歳)のパリオリンピックでは途中棄権。
その結果は振るわなかったものの、オリンピックに3回も出場した功績はその後の日本のマラソン界に大きな影響を与えます。
金栗足袋
オリンピックでは無冠で現役を終えましたが、その後もマラソン足袋の改良を続けていきます。
そして遂に、1936年(45歳)のベルリンオリンピックでは、改良を重ねた「金栗足袋」を履いた選手が金メダルを獲得し、世界を制します。
その後も、外国人がシューズを履く中、1951年頃まで日本人はずっと金栗足袋を履き続けます。
ストックホルムオリンピックのその後
1967年の75歳になったある日、金栗四三はストックホルムオリンピックの55年開催記念式典に招待されます。
そこで競技場を走るように指示され、言われたままに走り、ゴールテープを切ります。
すると「これをもちまして第5回ストックホルムオリンピックの全日程を終了いたします」とアナウンスが。
なんとその式典では、「行方不明」となったままだった金栗四三のためにストックホルムオリンピックのゴールを用意していたのです。
なんて粋な計らいなんでしょうか。
その記録、54年8ヶ月6日5時間32分20秒3。
これは、オリンピック史上最も遅いマラソン記録となります。
まとめ
金栗四三は、日本人初のオリンピックマラソン選手であり、戦争の時代を乗り越えながら、マラソン足袋の研究を重ねた、日本のマラソン界に大きく貢献した偉大な人でした。
そして、マラソンの最も遅い世界記録保持者というとても稀有な人でもあります。
そんな深みのある人物を題材にした大河ドラマ。面白くない訳がありませんね。